老媼、春を濯ぐ

コンサートは人こそ少なかったが個人的には大変満足できた。一曲目は安定感ある演奏ができた。これは純粋にコンサートグランド2台によるホールでの演奏ということで、普段より響きを演者として愉しみながら弾くことができた。もう一曲に関してはどうやらテンポを上げすぎたようで、相方は苦心惨憺といった塩梅だった様だ。僕が気持ちよく演奏できた点と、周りからの評判も良かった(ここで言う周りとは、母とOBのみである)点から、二人には感謝が絶えない。これでこそ京王線もいじらしく歓呼の声を走らせ、家路のつぼみも花を咲かせるというものだ。

そんなコンサートの後、駅前で六人ほどで駄弁っていたところに、一人の老女がやって来た。

私のことも知っているでしょう?と女は僕を見て言った。僕は全く見覚えがなかったため、小さく会釈することしか出来なかったが、隣にいたイケメンはそれを強く肯定した。それが嘘だということはその場にいた人間であればすぐに分かるところではあったが、人を傷付けまいと咄嗟に嘘をつける性質を、僕は羨んだ。

女は、社会人になると辛いことが続くけれども、ただ上の人間に従い、尊敬し、嫉妬せず、誠実に生きていれば、そしてイエス様を信じれば、成り上がることができると言った。そこで僕は初めてこの女がキリスト教信者で、僕らが勧誘紛いの行為を受けていることに気付いた。

女は饒舌だった。その口調は、僕らよりも自分自身に言い聞かせているようにも見えた。僕は、この女は信教の自由を許されていないのだろうな、この女は僕と同じだ、と感じた。それは、僕がアマガミを在るべき本当の形と信じることと何ら変わりはなかった。

イケメンが半ば強引に話を終わらせて、皆それに乗っかって女の元から去った。僕は人の話を故意に遮ることはそうそう出来ないので、これもまた尊敬に値するところである。一難去った一同は何処か店に入ろうという流れになったが、僕は喉から、昼に食べたおにぎりとファミチキが溢れるような感覚がしたので、夕食は断って、一人京王線に揺られることとなった。

僕は京王線の音ではなくシベリウスノクターンと八つの小品を聴くことにした。帰路はアスファルトで隙間なく埋められていた。