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褪せる

知り合いが会社のPCで青成分の明るさをカットしている、という話を聞き、僕もやってみた。

 

画面が、薄黄色くなったように感じられた。真っ先に思い出したのが、小学生の時に校庭で行われたバザーのような催しの中で行われていた企画の一つである、老人の感覚を知ろうという体験学習であった。

 

それは、老いると生活するのにどれだけ負担が大きくなるか体験できるということで、興味を持ってやってきた僕や周りの子供たちに、黄色がかったゴーグルを耳を、そして更に腕と足に一定のおもりを装着させるというものだった。僕は半ば「おもりを付けてもへっちゃらである自分」を証明したいがためにその体験学習に参加した。

 

これがなかなかどうして、僕には新鮮に感じられた。おもりに縛られてなかなか動き辛いことも然ることながら、それ以上に僕を縛るのは視界である。ゴーグルは少し厚く、ぼやけて見える。そして、色の判別の難しさが大雑把な認識すら鈍らせる。この状態で老後の日々徒然を送るのかと考えると、ふと恐怖に思うところがあったのを今でも覚えている。尤も、老後を待たず著しく視力を落とした自分が、似たぼやけを眼鏡で補う日々を送るとは夢にも思わなかったわけだが。

 

閑話休題、とにかくその時の色が、PCの青成分の明るさを切ると思い返されるのだ。とはいえ、過去の体験の黄色の方がよっぽど強いとも思うが。実際には、どうなのだろう。老いは青の光源の認識を鈍らせていくのか、他の色もそうなのか、それとも別の作用が働いて黄色くなるのか。

 

老いは、色鮮やかな光をも奪っていくものなのかと思うと、綺麗なものは若いうちに見なければならない。これまで見れたものが、見れなくなるかもしれない。そう考えると、あちらこちらに旅に出て写真を撮っている後輩は人間的にとても正しく、羨ましい。まずは、積極的に外にでることから始めなければ。